人生で後悔しないための考え方 – 常にプレイヤーであり続けることが大切なんだよ

つぶやき

 

私の経験ですが、会社に勤めている間は“自分の人生に対して、くだらないRPGをしているような感覚に陥っていた”ような気がします。

 

 

特別何かを選択しているわけでもなく、周りが良いと考えていることをしている人生は正直面白くもなんともありませんでした。

 

それどころか、自分の人生であるはずなのに、どこか他人の退屈な人生をみているような感覚になっていたことがあります。

 

この感覚はきっと、他人の選択を重視する一般の人であれば、だれもが陥ってる状況だと思っています。

 

ただ何となく時間が過ぎていったことで、よく定年を迎えたときに「いままで自分は何をしてきたのか…」と考える人がいるのは、まさにこの感覚に陥っていたからだと考えています。

 

 

そうならないように”自分の人生は常にプレイヤーである”ことが大切だと今では実感しています。

 

本記事では、自分の人生を無駄にしないためのマインドセット的な内容で書いていこうと思います。

 

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人生のコントローラーを握り続けろ


私は会社を退職する前から、”自分で予測を立てて行動する”を習慣にしています。

 

働き方だって「フリーランスなど個人で働ける環境が作られ始めていることから、企業という概念は曖昧になるだろう」と考えれば、会社を辞めて自分にあった個人で稼ぐ方法を試し続けていたりします。

 

 

私の周りにもいますが、「会社に勤めていない=将来性が不安」といった紐づけをする人がいます。

 

ですが、正直自分で物事を考えて行動を選択できないような人のほうが将来性もなければ、不安定な生活を強いられる可能性が高いように感じています。

 

それだったら、「人生一度きり」なんていうありきたりの言葉を使いたくはありませんが、もっと自分の人生を選択できる自由度のある生活を送ったほうがよっぽど人生が充実する決まっています。

 

なぜなら、人生の後悔は「選択できたのに、しなかった」という経験から生じるネガティブな感情だからです。

 

 

だから、「自分で考えて、やるべきことが理解できたら行動に移す」ことが結局は結果がどうであれ自分の人生に満足できる条件だと考えています。

 

 

このように他人がよしとする選択をして、まぁまぁの人生を送るよりも自分で判断して行動に移せるように人生のコントローラーをしっかり持っている状態で日々を過ごしたほうが良いと心の底から考えています。

 

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マンガの主人公がなんでカッコいいのか

ルフィ

 

ワンピースの「ルフィ」やNARUTOの「ナルト」、SAOの「キリト」などマンガの主人公はカッコいいですよね。

 

そんな王道のマンガの主人公がなんでカッコいいのか考えたことはありますか?

 

それは”自分たちにはできないと思えることをやってのける”からです。

 

そこらの周りのキャラクターとは、頭一つ抜けた行動の結果、注目される存在になっているのが主人公の特徴の1つだといえます。

 

強い敵を前に恐れず戦う姿や仲間を守るために体を張る姿に憧れる方も多いかと思います。

 

ですが、それ以上にワンピースでいえば、シャボンディ諸島で魚人のハチを助けるために、影響力が絶大な天竜人をぶん殴るシーンなんてどうでしょうか?

 

出典:http://xn--zckm5bnq2mpa6a1f.jp/

 

あのシーンではシャボンディ諸島に何億ベリーもの賞金がかけられた強者が大勢いたにも拘わらず、気に食わなくても天竜人に手を出そうとする海賊は誰一人いませんでした。

 

にも拘わらず、仲間のためにルフィはまったく躊躇もせず、殴り飛ばします。

 

一般の人であれば、後々の仕返しや強敵が襲ってくることを恐れて、周りと同様に「間違っていることを見て見ぬふりをする」という選択をとると思います。

 

ですが、自分の選択を正しいと考えて行動に移せるルフィを前にすれば、どんなに強くてカッコいいキャラクターでも見劣りするのは必至ですよね。

 

この出来事でさらに、ルフィの悪名が広まり、注目される存在になっています。

 

 

この自分が正しい、やりたいと思えることを、失敗を恐れずにできてしまうというのが、マンガの主人公がカッコいい理由だったりします。

 

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常にプレイヤーであり続けろ

 

自分の人生を生きるためには、常にプレイヤーであり続けなければいけないと考えています。

 

私も他人や環境に頼り、何かを解決しようとしたり何かをやり遂げようとしている状況は、どこか自分とは別の人生を歩んでいる感覚に陥ることがありました。

 

これはなんとなく会社に勤めていれば安牌と考え、その考え方で作られた日々はまさにこの感覚に陥るトリガーになることがあります。

 

別に自分が成果を挙げなくても、頑張らなくても周りがどうにかして成立させてしまうような状況が当たり前になっている方は、「昨日何したっけ…」なんていう記憶に残らない日々を積み重ねていることになっているといえるかもしれません。

 

これがもしも自分で考えて行動しているのであれば、そんなにすぐに何をしたかなんて忘れることはありませんよね。

 

 

この状況はよくRPGで出てくる『村人』状態なんじゃないかなと考えることがあります。

 

ゲームでよくある魔王に支配され、不自由な生活を強いられている村人たちはきっと「勇者たちがどうにかしてくれるだろう」と自分ではなく、主人公を操作するプレイヤーに期待していると思います。

 

その証拠に何年も前から困っているのに、なぜか受け身の姿勢で行動もせずに「大変だ大変だ」と騒いでいるだけだったりします。

 

そんな村人をみて、プレイヤーのあなたは「何の情報も持ってないのかよ」と落胆し、それ以降その村人の存在はあなたの頭から消えているかと思います。

 

なにより、そんな村人自身も「いつから困ってるんだっけ」なんて考えているかもしれませんよね。

 

 

この説明を読んで、あなたは

RPGの村人のように勇者という優れた人間にすがり、これからの自分の人生を委ねる受け身の人生を送るのか

それともコントローラーを握って自分自身が勇者となって自分で自分の人生の結末を決めるのか

これからは判断していかなければいけないのです。

 

そして間違いなく、プレイヤーとして人生を全うするほうが何倍も満足のいく結果になると思いますよ。

 

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