学問には目的がある
「天は人の上に人を造らず、人の下に人は造らず」という言葉が有名な書ですよね。
そんな言葉を書いた福沢諭吉さんは学問に対してどんな考えを持っていたのでしょうか?
本記事ではそんな福沢諭吉さんがなぜ学問を勉強することが必要なのかについてのご説明したいと思います。
地位が高い人と低い人との違い
「天は人の上に人を造らず、人の下に人は造らず」という言葉があります。
人が生まれたときは平等の権利を持ち、この世のものを使って衣食住が満たせ、お互いに過ごしやす生活ができるようになっているということです。
ですが、この世の中には貧富の差があり、平等とは程遠くなっているのが現状です。
ではなぜ、そういった人と人との間に差ができてしまうのでしょうか?
それは、賢いか愚かかのような学ぶか学ばないかの違いによるものなのです。
また、この世の中には難しい仕事もあれば簡単な仕事がある。
これらの仕事の分類として医者や学者のような難しい仕事は賢い人がして地位が重く、簡単な仕事をする人は地位が低いということになります。
スポンサーリンク
役に立つ学問とは
ここでいう学問とは人の生活の役に立つ実用的な学問をいいます。
趣味や雑学といった知らなくても不自由のない勉強よりも、世の中に求められている勉強をして学びを得るほうがよっぽど大切です。
文字の書き方や帳簿の書き方、地理学や歴史学、経済学や物理学といった学問を勉強して、物事の本質をつかむことできるようになることが実用的な学びだと考えられます。
そうすることで、人の普通の生活に役に立つための実学を学ぶことが重要ということです。
自由に生きるということは
自由とはわがままであることではないです。
人が生きていくための義務を知り、義務を果たしてやりたいことをするということです。
そして、自由とわがままの境界線に他人に害をなしているかどうかです。
ある人がやりたい放題やるのは、ほかの人に悪い影響を与えたり、これからの教育の悪い手本になる。
自分に強い力を持つからといって、その力を行使してやりたい放題し、他人の不自由の強いていたとする。
その場合、自分以上の強い力を持った人間が好き放題していることで、自分の自由が妨げられたらどうでしょう?
これは結果的に自分は不自由になっているということですよね。
スポンサーリンク
国が制限が厳しくなるのは国民のせいである
世の中で勉強もせず、物事を考えられない人は恥ずかしいことなんだと気づくことができません。
自分自身が無知であるから、お金を稼げくことができないと理解することができずにいるのです。
その結果、努力して知恵を身につけて高い能力が求められる職業について稼いでる人を恨んだり、罵ったりするわけです。
こういった国民が増えることで犯罪が起き、不自由を強いられる人間が増え、結果的に国は力をもって国民に制限を設けるしかなくなってしまうのです。
これがもしも、学問を志す人が増え物事の筋道を知って、文明を身に付けることができれば、国も法律もまた寛容になっていくのです。
また、政府は政治がしやすくなり、国民が苦しむことが減り、お互いに責任を果たすことができるようになるのです。
まとめ
人が生活をしていく中で学問を学んでいるかはとても重要なことです。
というのも、自分自身のあり方を知ることはもちろん、富を得るためにも欠かせないことだからです。
本来みなさんは学校の授業や会社の資格勉強などをされていると思いますが、それが実用的であり、生活の役に立つこと理解して学ぶことが大切です。
その積み重ねが社会から必要とされるか、幸せになれるかに大きく関わってくると思われますので、勉学に励みましょう!
スポンサーリンク
コメント