無自覚に『他人の人生を評価しようとする人』の特徴

生き方

 

「そんなことやって何になるんだよ」

この言葉を聞くたびに、いつもその人は「自分の人生の目的」を真剣に考えていないのだと感じてしまいます。

こういう人は大抵、誰にでもできる楽なことをして日々を過ごしていることが多いです。

目先のお金を追ってばかりで、変化を嫌い現状維持に徹している、当たり前のことをして偉そうにしている。

そんな人を見ると「それでいいの?」と問いたくなることがあります。

 

きっとこの世の中の人には他人には言えない「自分の夢」への気持ちを抑えながら、日々を過ごされている方がたくさんいるんじゃないかと思います。

だけど、積極的にその人生の目標とも言える夢を成し遂げるための積極的な行動はできていない方もたくさんいるんじゃないかと思います。

行動ができない原因として「将来への不安」はもちろんですが、その中でもやはり「他者からの見え方」を気にして、思うように行動に移せない方が多いんですよね。

なぜなら、将来への不安は「こういう状況になったら、今まで一緒にいた友人や家族に顔向けができない、批判されたくない」といった外的要因によって、大きな不安を抱くことがほとんどだからです。

 

そういった不安を掻き立てる人が「なぜ他人の人生を評価しようとするのか」の原因について説明していきたいと思います。。

 

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01. 将来の可能性より現状の結果を見てばかりいる

 

「それで、どれぐらい儲かっているの?」

「えっ!? 稼げてないの? それじゃ、上手くいかないんじゃないの?」

 

人は現状の「結果」ばかりに興味を持ちます。

むしろ、どんなにスゴイことをしていても、「結果」が出せていなければ、それ自体を否定することだってあります。

 

つまり…

”将来性以上に、結果を優先して評価をしようとする”

ということです。

 

ロココ期のイギリスの画家で勉学について多くの名言を残している「ジョシュア・レイノルズ」はこんな言葉を残しています。

”人は「考える」という

「真の労働」から避けるためには

なんでもする”

 

偉大な方が上記の言葉を残しているように、人は「結果という目に見えるもの」といった容易に認識できるものを評価し、頭を使って考えなければ理解できないものは、ないものとして判断しようとする傾向にあると思います。

これは現在の生活においても同じことが言えるかと思います。

多くの収入を得ている人は頭を使い「多くの知恵」を用いて大きく社会に貢献をしています。

ですが、頭を使うことを避けてきた人は、誰にでもできることをしているので、その分、社会貢献度は低いといえるでしょう。

 

このように人間にとって「考える」という作業は”真の労働”と呼ばれるぐらい、最もエネルギーを使う作業であり、無意識に考える作業を回避しようとしているのです。

そんな考えることを放棄した方々に何を言っても伝わらないのは当然だといえます。

 

このように、他人の人生を評価しようとする人は、考えることを避け、考えなくても認識できる「結果」だけに固執しているといえると思います。

こういう人に限って、その相手が上手くと、手のひら返しをするんですよね。

 

 

02. リスクを負えない臆病者

 

「俺はお前の考え方を否定しているんじゃなくて、現実的な話をしているんだよ」

 

人は不確定要素が多いもの、もしくは自分に理解できないものには、上記のような近い言葉を言ったりします。

特に少し要領が良く、学校や会社で評価をされている方は特に、理屈だけで物事を語ろうとします。

 

つまり、

”自分の物差しでしか理解しようとせず、それ以外は誤りである”

ということができるかと思います。

 

「生活はどうするんだ」「将来家庭を持ったら養っていけないだろ」といった、結果を出せていない状態では反論が難しいようなことを言ってきます。

もちろん、その意見は現実的で正論であるような気もします。

ですが、1つここでお伝えしたいのが、それは”「現実的」なのではなく、「一般論」ではないのか”ということです。

それが一般論だとしたら、一般から外れてでも何かを成し遂げようとしている人に当てはめようとするのは間違っているような気がします。

この一般論というのは、この世界にいる多くの一般の人の思想感ですよね。

基本的で当たり前のことですが、一般の人はリスクを恐れているものです。

その心理状態から出された答えは、どうしてもリスクを負えない保守的なものになってしまいがちです。

 

そういった考えを持つ方が多いので、ほとんどの人は”常識”を疑いません。

昔から自分が言われてきたことをそのまま受け止め、それを他人にただ伝えているだけのことが多いです。

「常識は正しいんだ」という考えが誰にでも当てはまり、それは絶対に外れてはいけない決まりのようなものだと勘違いしているのかもしれません。

 

ですが、少し考えてみてください。

今まで常識だと思っていたことが現在では常識ではないことはありませんか?

それこそ、今まで例外だったものが、常識に変わったことはありませんか?

現実、そういった”常識が変化してきた”ことを理解できていない方が多いように感じます。

 

「遠くの人と会話ができない」といった常識を、グラハム・ベルが電話を発明したことで常識は変わりました。

「空は飛べない」といった常識が、ライト兄弟が飛行機を作ったことでその常識は覆しました。

世界中の人と繋がれないと思っていたが、インターネットがあることで今では「繋がれて当たり前」になっています。

そのインターネットを使って、働き方まで変わろうとしてきている現状で、まだ”今ある常識が正しい”といえるのは、あまりにも物事を考えていないとは誰も考えないのでしょうか?

 

このようにリスクを恐れた人たちは常識を疑わず、自分の物差しと一般論が正しいと思い込んでいるといえると思います。

 

 

03. 物事を考えられてこなかった結果

 

なぜ、多くの人は他者の人生を評価しようとするのか、できると思っているのか、私には理解ができません。

私は何も考えずに、ただ生きるだけの人生は多くの後悔を作り出す原因だと確信しています。

それは私がこれまでの人生で、自分の意志に背いてまで、周りに合わせてきた結果、後悔だらけの人生になっているからです。

そして、「人生は後悔するものだ」と軽い気持ちで考えている方は、今現在人生をいくらでもやり直せる時期だから言えることなんだとも考えています。

そういう方は結局、取り返しのつかないぐらい時間が経ってから、初めて自覚すると思います。

そして、自分が気づけなかった時期にそれに気づき行動に移そうとする若者の邪魔をして、他者の幸せの実現を妨げようと働きかけるようになることが多いように感じます。

 

皆さんももしかしたら、一度はあるかもしれませんが、「他人が幸せそうで、自分は不満だらけの状況」の時にその人が上手くいかないことを願ったことはありませんか?

例えば、自分が異性と付き合っていないときに、友人に「カッコいい、かわいい」と自分のタイプの人と友人が付き合い始めたとします。

その時あなたは友人は祝う以上に、「羨ましい」と強く感じることがあるかもしれません。

そんなあなたは、「上手くいかなければいいのに…」と心のどこかで思ってしまうことがありませんか?

この気持ちから行動に移すと他人の幸せを妨げる行動に繋がってしまうことがあるのです。

 

ですが、これを飛躍させると、こういう人が夢を諦めた人であれば、「夢を実現させようとする人」を羨ましく思い、実現の邪魔をしてしまうともいえるでしょう。

これが可能性を信じられない人であり、その特徴であると考えています。

 

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