若い世代で当たり前に使われている「KY」という言葉があります。
昔はあれだけ頻繁に使われていた「KY」も、今ではあまり使われることがなくなってきました。
これは、「空気を読めない」人たちが減ったのか、それとも指摘するのに飽き飽きしたのかはわかりません。
どちらにしろ、空気を読めないことはそれだけ、良好な人間関係に影響を与えてきたのでしょう。
現に空気を読めない人って、円滑な話し合いの妨げになったり、周囲のモチベーションを下げることがあります。
そのため、空気を読めない人は、周囲から孤立させられてしまうんですよね。
それだけに、みんな必死に空気を読むことを意識します。
ですが、中には空気は読めるけど、敢えて読まない方もいます。
ですので、本記事ではこの空気を読めないのと読まないの違いについて考えてみましょう。
空気を読むとは
ここでいう「空気」とは、その場の雰囲気のことです。
対人関係や集団の中で、そこで話される話の内容や流れを読んで、円滑なコミュニケーションを図らなければならない際に用いられるのが「空気を読む」という言葉です。
簡単に言えば、複数人で話をしているときに、その場にそぐわない言葉や話のコシをおるような行為を「空気が読めない」になるわけです。
特にコミュニケーションが頻繁に交わされる学校や会社といった組織内で過ごす時に必要になってくる能力だといえます。
具体的にどんな人が「空気が読めない」と思われるのか
空気を読めていない人は、自分が気づかないうちに、自分の周りから人がいなくなってしまいます。
その時初めて、自分は空気を読めないのかもしれないと気づくわけです。
ですが、大抵の場合、なぜ嫌われてしまったのかといった、嫌われる原因が分からないものです。
そこで、「もしかしたら、自分が空気が読めないことが原因ではないのか」と感じた方は、下記のことが当てはまっていないか考えてみてください。
自分の好きな話しかしない
自分の好きな話になると饒舌になる人っていますよね。
ですが、それ以外だと、あたり障りのない返答で済ませてしまうような。
そんな方はもしかしたら、空気を読めていないことが多いのです。
話がひと段落したときの沈黙で「話は変わるんだけど~」というのは良いと思います。
ですが、「いま、そんな話をする流れじゃないだろ!」といったタイミングで自分の好きな話を持ち掛けてくるのです。
場の流れを読まずに、みんなが考えて黙っているタイミングを見計らってか、急に「○○のアニメ観た?」みたいな。
それだと、そのテーマの話をするとき以外、誘いたくなくなってしまいますよね。
極端に目立ちたいと思っている
どうしても、話の中心にいたいという人がいます。
話のコシを折ろうが話のテーマを変えようとしたり、急によく分からない発言や行動で注意をひこうとしたりします。
こうやって場を乱してでも、自分にスポットを当てようとするのです。
こうなると一緒にいる人たちからしてみたら、「さっきの話をもうちょっとしたかったんだけど」とか、「この人がいると話が退屈な話をされてしまって、つまらない」といった不満を抱かれてしまうことが多々あるのです。
理屈が成立していなければ気が済まない
その場でただ笑ってもらおうと冗談を言うのに、その発言を真面目にとらえ、言い返す人っていませんか?
「えっ!? 今のは冗談じゃん」っていう誰にでも理解できる発言にも、なぜか本気でマジレスしちゃうみたいな。
そういう方は、その場の状況を考慮せずに、その言葉の意味だけを重要視して考えてしまうような方です。
確かにいくら面白いことを言っていようが、不謹慎な発言や人を傷つける発言に本気で返すのは、特に間違ってはいないかと思います。
ですが、「そこまできっちりしなくてもいいだろう」と思われるほどのことをいちいち指摘されていれば、会話が成立しないどころか、誰も話をしたくなくなるものです。
極端に嫌われたくないと思っている
空気を読むという言葉には「同調する」ことが前提であることが多いです。
多くの場合、その場の雰囲気を壊さないために、周りに同調することは必要不可欠だといえます。
ですが、それはいつでもどのタイミングでも同調をしていればよいというわけではないですよね。
自分の考えを言わなければいけない場面だってあるわけですから。
それなのに、勢力の大きいほうの意見に必ず賛同してくるといった方もいらっしゃいます。
そういう方には「前言ってた意見と違くね?」といった矛盾した発言や、「今は自分の考えを言う場だろ!」といったあからさまに場に呑まれた発言などで周囲を苛立たせることだってあるのです。
そういった場面だと気づけなくなってしまうのも、普段から「他人に嫌われたくない」といった気持ちが、逆に空気を読めない行動をさせてしまうことだってあるわけです。
あえて空気を読まないのもアリ
ですが、正直の話、空気を読むか読まないかなんて、個人の自由です。
常にその場の空気を気にしていたら、自分の考えを常に曲げていたり、大切なモノを失うきっかけになったりします。
それに気づいている人は、「あえて空気を読まない」という選択をする人さえいるのです。
ここで重要なのが、「空気が読めない」のと「空気を読まない」のでは、まったく異なる意味を持つということです。
例えば、友人グループで自分の友人の陰口を言っているとします。
この時に、「空気を読もう」とする人は、その場しのぎを悪口を言ってしまうかもしれません。
ですが、「あえて空気を読まない人」は自分の考えと反した行動をとらないために、その場の雰囲気を壊してでも自分の考えをはっきり言うのです。
「空気を壊さない」を選ぶのか、「自分の意思を貫く」のか、どちらに重きを向けているかで正解は変わってきます。
ですが、基本的に自分で良くないと思っていることをしない選択ができる人は「とてもスゴイな」と敬意払いたくなるものですよね。
嫌われる覚悟があって、やっているわけですから、「素晴らしいことなんじゃないかな」と思えてしまいます。
こういった自分の意志を理解し、行動しようとしている人の多くは、空気をあえて読まないことがあるというわけです。
空気を読むことも大事だけど、全てではない
普段の生活において、空気を読むことは重要だといえます。
「一緒にいて楽しい」と周囲を思わせたり、「話し合いでもスムーズに進められる」とビジネスシーンでも役に立ったりします。
このことから、良好な人間関係を築く、仕事で活躍するにはとても大切な能力だといえます。
空気が読めない人はその場の雰囲気を壊したり、他人を苛立たせているわけですから、できるだけ身につけておく必要があるかと思います。
ですが、それは時と場合によります。
全てにおいて、空気を読まなければいけないというわけではありません。
自分の考えを言わなければいけなかったり、自分の意志に背いてしまう場合は、空気を壊してでもそれを貫く決断も必要だということです。
自分が間違っていると思ったことをして周囲に認められても、嬉しくないことだってあるわけですから。
空気を読むことを意識するあまり、ストレスを抱えてしまっても良くありません。
ですので、あえて空気を読まない選択もアリだと考えて、自分の正しいことをしていってください。
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