私は20歳まで何もできなければ、何も選択できない人間でした。
何もできないのにプライドだけはいっちょ前で、それなのに周囲の選択に従って生きているような状態でした。
そんな毎日はスゴく退屈で、何も生み出さない、何も積み上げない生活をしていたことから、『ただ子供が大人と認識される年齢になった』という状態だったと思います。
そんなことを思い出しながら、下のようなツイートをしてみました。
自分の生活の中の『退屈』を1つずつ無くしていくことが大切だと考えます。
退屈だと感じている生活ほど、何も生み出さず、選択が誤っているものはないと、これまでの人生から学びました。
『退屈』がたくさんある人は、一気に無くそうとすると、人生でも不具合が生じるかもなので、少しずつ削る!
— むぅチャソ (@ten_choose) 2018年8月10日
日々の生活の中の”『退屈』を少しずつ無くしていく”ことを重要だと感じ、行動していきました。
その結果、自分ができることが増えて比較的自由に生活ができているのはもちろんなのですが、もっと重要なのが”物事を自分で考え、予測を立てて行動に移せる”ようになったことです。
ですので、本記事では『退屈をなくす重要性』について書いていこうかと思います。
「なんだかやることなくて暇だなぁ~」と考えている方に、「退屈をなくそう!」と充実した日々への一歩を踏み出してもらえるような内容にできたらと思います。
まずは不必要な『退屈』なモノとは
『退屈をなくす重要性』の前に、どんなものが不必要な退屈なのかについて書いていきます。
基本的には”現状が何も変わらない”ということが不必要な『退屈』だと考えています。
なので、以下ような特徴を持っていると『不必要な退屈』を作ってしまっていると思います。
不必要な『退屈』を作っている人の特徴
①なんとなく、テキトウに時間を過ごしている状態。
やることがないから、ネットサーフィンしたり、ゲームをしたりと目的もなしに時間を過ごすということです。
何も生まれなければ、ただ時間を過ごすためだけの行為を続けてしまっている。
②やり過ごすための時間を過ごす
「学生だし、仕事をしているし」といった、自発的に行動に移さなくても環境が変わってくれると考えている人にありがちな『退屈』です。
「他で変化がもたらされる」からと、退屈な時間を気もくれず、暇なことを正当化しちゃう人もいますよね。
休日なんかは、学校や会社の日が来るまでの時間を潰すだけの使い方をしようするということです。
③退屈なことすら認識していない
休日はやることがないから、1日中眠っているみたいな。
「眠ることが目的」といった、退屈で無駄なことが目的になってしまっている人がいたりします。
むしろ、眠りすぎなど必要以上にしようとすると健康に悪影響ですのでやめるべきだったりします。
④自分の人生に必要ない時間を持っている
会社で退屈な時間を過ごされている方もいますよね。
「何のために自分はいるんだろう」と日々考えていたり、「仕事もないからネットで遊んでよう」とか。
これだって、給料は発生するものの、特に現状を変えない行為だといえます。
お金がもらえるから退屈な時間を過ごすというのはあまりにも無駄過ぎますよね。
意外と生活の中に『不必要な退屈』は潜んでいる
私たちの生活の中には、そのままいれば無駄な時間を過ごしてしまうような退屈な時間がたくさんあります。
こういったものに気づけない、もしくは軽んじていると、年齢だけ重ねただけの人になってしまうんだと思います。
よく「自分にはできないから…」と他人にやってもらう人がいるけど、他人からしたら「何年もやっていてなんでできないの?」と思われるような、ほかの力を充てにしてしまうような人になってしまうみたいな。
だから、常に「退屈な時間がないか」を考えて、「何かを生み出す、何かができるようになる」といった時間の使い方を意識するべきなんだと考えています。
生活の中の『退屈』をなくさないと…
次に上で挙げたような『退屈』をなくさないとどういうことが起きるのかについて書いていこうと思います。
昔から『行動的な人』と『退屈だらけの人』では将来的な結果に違いができてくるものです。
それこそ、20代や30代といった社会に働きかける重要な時期は特に大きな違いが生まれるものです。
ですので、これから書くような状況に「なりたくないな…」と思えるのであれば、本記事を最後まで読んでいただければと思います。
歳が近い相手に差をつけられ、劣等感を感じる
同じ歳のアイツ、昔は自分より勉強できなかったくせに、今では偉くなったもんだ!
アイツにできるんだったら、オレにもできたハズ…
SNSでいい車の写真を貼ったり、金持ちアピールしやがって。
あんなヤツ、失敗しちゃえばいいんだ!
これは意外と現段階で感じている方って多いんじゃないでしょうか?
自分が暇な時間を過ごしていた間、ほかの人は努力して結果を出しているという状況。
例えば、自分は何も考えずにただ毎日働いている生活を過ごしていたが、昔仲の良かった同級生は自分の年収の何倍も稼いでいるとか。
自分は「出会いがない」と悩みながら過ごしていたけど、周りの友人は婚活を積極的に取り組んで、めでたく結婚しているとか。
こういった状況って、行動に移さなかった自分が悪いのに誰かを妬んだり、「上手くいかなければいいのに…」と悪い考えを持ってしまうんですよね。
もっといえば、そういった努力して勝ち取った人の足を引っ張って、あわよくば自分より悪い状況にしてやろうなんて考える人もいます。
こういった他人への劣等感が生まれるような状況のままでいると、いつまで経っても気持ちを満たすような生活は訪れません。
『退屈』を許容するとこういうことが起きるので注意が必要です。
「もっとこうできた」と反省し続ける羽目に
時間を持て余すような状況は、今の現状をよりよくするための時間に割けていないということ。
現状をよくするには、今のありったけの時間を費やして初めてベストな状況を作り出せるということだからです。
ですから、『手を抜くといった努力を怠る』『休むことだけを重視している』という状況は、「あの時、もっとこうできたよな」という後悔に繋がるのです。
今できる努力を精一杯やらなかった記憶は必ず後悔というネガティブな形に変化して、過去を振り返って後悔するという状況を生み出すんです。
これは今の私でも、「もっとできたよな…」と過去を振り返って反省することが多々あります。
ですが、成長意欲が高く、常に成長できている人は、現在の自分で比較することがありますから、良い意味での反省になるかと思われます。
「何をやっていたんだ…」と深い後悔へ
これは何も考えずにテキトウに日々を過ごさしていると、後々時間が経って気づくことになるんですよね。
常に「自分はどうするべきか」と考えながら、日常的に出てくる選択肢を適切に選べなかったりします。
「楽なほうでいいか」なんて考えて、選択していたら間違いなく「自分は何をやっていたんだ」と感じることになると思います。
特になんとなく周りに流されて選択していると、気づいたときには大きな後悔になっていることがあるんですよね。
私なんかは20歳になるまでは、何も成長せず、状況を変えずに年を越した時には、特に「自分大して変われてないな」と後悔していたものです。
自分の頭で考えて、『楽なほうに行きたいという気持ち』を抑えながら進んでいくことが必要だったりするんですよね。
信頼できる人がいない将来
「退屈だけどまぁいいか」と行動に移さなければ、それだけ出会いのチャンスはありません。
何かを目的に行動に移していくと、考えを共有できる仲間だったり、競争相手が出てきますから、それだけ意思のぶつけ合いという面で深い関係が気づけたりします。
ですが、一人でいる時間でかつ何も生み出さないような過ごし方をしていれば、何も起きませんから、結果的に「自分には仲の良い友人はいないなぁ」なんていうことになることがほとんどだと思います。
私もインドアで行動に移すのが面倒だと感じている時期が長いですから分かりますけど、本当に友人と呼べる人が増えないんですよね。
上辺だけの友人は増えますけど(笑)。
退屈なモノにも必要なモノがある
退屈な物事にも重要なものがある。
例えば、『勉強』とか。
一般の人は勉強するのは苦しいもので避けたくなるものではあるが、『知識を蓄える』『学び方を学ぶ』という人生には欠かせない要素を含んでいる。
「面倒だからやめた!」は「あの頃やっときゃよかった…」に繋がること間違いないですよ
— むぅチャソ (@ten_choose) 2018年8月10日
退屈だと思えるものでも重要なものがあります。
また、あえて意図的に退屈を作り出すことも大切だと考えています。
こういった『退屈だけど重要』といった部分について、ここでは書いていこうと思います。
『退屈』に思える重要なこと
退屈だと思えるけど重要なものに、『勉強』や『目的を達成するための作業』などがあります。
多くの人にとっては、勉強って退屈でつまらないものですよね。
確かに学生の頃の勉強のイメージがありますから、無理やりやらされていたことや、本当に大人になって役に立たない内容だったかもしれません。
ですが、”目標の達成のために必要な知識を学ぶ”や”多くの働き方ができるようになる”といった目的がある場合、間違いなく勉強することは避けられません。
専門性が高かったり、高度な働き方を選択するには確実に知識は必要になってきます。
また、自分が掲げた目標を達成するためには、不本意で退屈な作業が必要になることがほとんどです。
そういった「退屈で面倒だからやらない」なんていう考え方を持っていると、目標達成なんておろか、無駄に時間を費やしたり、コストをかけてしまったりいいことがないわけです。
ですから、退屈で面倒なモノでも必要なモノがあると理解し、そういった重要度の高いモノを見極められるように意識していくことが大切だといえます。
『休む』『考える』という退屈という選択
これまでの記事内容だと「精一杯生きろ!」みたいな内容になっていますが、割と意図的に退屈を作り出すことも大切だったりします。
高いパフォーマンスを発揮するには、時には休むことも必要です。
最善な選択やアイディアを生み出す時には、時には立ち止まり考える時間を確保することで選択も変わることがあります。
本記事で悪いといっているのは”何も考えない”といった、その場の環境に流されたり、他人任せな選択をしたりすることが良くないといえ得ているわけです。
ですので、自分で「退屈を作るぞッ!」と目的を持って、退屈な時間を過ごすのは、割と大切なことだったりするんですよね。
だからといって、退屈な時間尽くしにするのは良くないですけど( ゚Д゚)
不必要な退屈な時間をなくす方法
『退屈』で何も得ない時間を過ごされているのなら『暇な時にすること』を決めておくと良いと考えます。
私はやることがなかったら、『読書』『勉強』を強制的にするようにしています。
そうすると、『行動する』『インプットする』の2択にできて、有意義な時間が過ごせるかと思われます。
— むぅチャソ (@ten_choose) 2018年8月10日
本記事で悪いといっているのは”意図して退屈を作っていないのに退屈になってしまっている状況”が良くないと大切なことなので再び書いておきます。
ですので、基本的には”自分で考えて決断する”といったことが最もこの『退屈』をなくすための有効な方法だといえます。
その決断では、自分の目標があるのであれば、その目標を目指すために必要なモノと、いらないモノを判断すべきだと考えます。
それが判断できれば、あとは”時間が空いたときに強制的にすることを決めておく”と退屈で無駄な時間が自然と減っていくと考えています。
私の場合は、基本的に何かを学ぶことは重要だと考えていまして、やることがないときには強制的に『読書』『勉強』をするようにしています。
こういった絶対に無駄にならないであろう取り組みを時間が空いたときにすると自分の中で設定しておくと、強制的に成長できたり、前に進めることができると思われます。
この設定では積み重ねるだけで結果に結びつくモノを選択しておくと、なお素晴らしいと思います。
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