映画『新感染ファイナル・エクスプレス』の感想・評価【韓国のゾンビ映画で新鮮!】

映画・ドラマ

どうも、むぅチャソ(@mw_chaso)です。

 

今回は映画『新感染ファイナル・エクスプレス』のレビューを書いていきます。

 

ぜひ、『新感染』を視聴を検討されている方は参考にしてみてください。

 

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あらすじ

 

主人公『ソグ』はファンドマネージャーとして働いているサラリーマンである。

 

そして、そのソグには別居中の妻とまだ幼い娘『スアン』がいる。

 

ソグは仕事が忙しいこともあり、スアンの相手をしてあげられずにいた。

 

そんなスアンは誕生日に「ママのところに行きたい」という。

 

日ごろ寂しい思いをさせているスアンに対して、ソグはその気持ちに応えることにした。

 

そして、誕生日当日、妻のもとへスアンを送り届けるため、ソグたちは『ソウル発釜山行きのKTX101列車』に乗り込む。

 

しかし、それが悲劇の始まり…。

 

同じ列車にケガをした女性も乗り込む。

 

その女性の倒れこみ、乗務員が介抱をする。

 

でも、実はその女性はゾンビウイルスに感染しており、その乗務員に襲い掛かる。

 

そこから噛まれた乗客たちがゾンビとなり、列車内はゾンビだらけになってしまうのだった。

 

そして、時速300kmで走る列車の中でソグたちは、ゾンビの脅威に晒されながら、安全な地を目指すのだった…。

 

 

感想・評価

 

個人的な評価:8.1/10点

 

『韓国+新幹線』という新しさが新鮮な気持ちにさせる。

また、丁寧な伏線回収も観ていて気持ちがいい!

 

韓国のゾンビ映画という珍しいジャンルであることから、新鮮な気持ちで作品を観ることができました。

 

ゾンビ映画となると米国の作品が多いため、韓国で作られた本作は「おッ!なんか新鮮!」と序盤で感じられるかと思います。

 

また、そういった新鮮さだけでなく、舞台が『新幹線』というのも新しいシチュエーションで目新しく感じる方も多いのではないかと思われます。

 

丁寧に作りこまれた作品であると感心できる部分も多々あった。

 

ネットでの評価が高評価なのは納得がいった。

 

また、ゾンビの演技も素晴らしく、ゾンビの恐ろしさが出ていて良かったです。

 

ですが、少し気になったのが、メインキャラとゾンビの取っ組み合いの場面では「このシーン、結構見たな…」という部分があったのがマイナスポイントだったかと思う。

 

それを差し引いても、素晴らしいゾンビ映画であることは間違いないかと思う。

 

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「新しいッ!」と思えるゾンビ映画である

 

「〇〇で見た」がまったくないゾンビ映画!

 

米国をはじめとして、この世にはゾンビ映画はたくさん存在する。

 

だから、「このパターンは〇〇の映画でみたような…」と違う作品でありながら、以前みた映画を思い出す作品も少なくないと思う。

 

だが、『新感染』はそのどれとも違う作品になっている。

 

その大きな理由は”『列車』に限定した画期的なシチュエーション”だと考える。

 

どの作品も家屋や町、国といった、今ではありきたりな舞台を選択していることで、正直パターンが決まってきてしまうといえる。

 

でも、『新感染』では既存のゾンビ映画の隙間といえる『列車』を舞台にしたことで新しさが生まれたといえるかと思う。

 

また、そういったゾンビとの対処法に限りのある『列車』であることで、「主人公たちは絶対絶命じゃん!」と視聴者にハラハラ・ドキドキを感じさせる状況を作り出すことができている点も高評価である理由であるといえる。

 

 

フリやオチがしっかりしている

 

伏線回収が丁寧にされている気持ちの良い映画。

 

「ゾンビウイルスはどこから現れたのか」「主人公とどう絡んでくるのか」といった設定部分が満足のいくモノだった。

※その企業がウイルスを作っていた理由は明らかなになっていないのが心残りだが…。

 

また、特別気になる部分でもない在り来たりなシーンが、後々作品のシメになる感じも、結構好きな要素だったりする。

(主人公の娘が学芸会のために練習した歌とか)

 

こういった、作品内で出てくる伏線を丁寧に回収していく感じが、見終わったあとに「良い作品だった」という気持ちにさせるのだと、この作品で改めて感じた。

 

後味スッキリなゾンビ映画だった!

 

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極限状態での人間の行動がリアル

 

命の危機に晒された人間の行動が表現されている。

 

列車の中では、ゾンビがいる『危険地帯』、ゾンビがいない『安全地帯』の2つの領域が生まれる。

 

そして、この2つの領域が生まれることで、本来の人間性が見える場面がある。

 

それは、安全地帯にいる人間は自分の命可愛さに危害が及ばないように生存者であろうと拒もうとする。

 

そういった悲しい人間の一面をこの映画ではうまく表現ができていると感じた。

 

本作ではそんな「きっと実際に危険な状態になったらこういう行動をとってしまうんだろうな…」と思える人間の行動がリアルにみえ、視聴者に考えさせる深さがあるのではないかと思う。

 

 

ゾンビ映画本来の怖さ『絶望的な敵の数』がみられる

 

敵の数が多い…。

にもかかわらず、武器は殺傷能力の低い武器のみ。

 

多くのゾンビ映画では『銃』など1人でもやり方次第で乗り越えられる武器があるかと思う。

 

なので、他のゾンビ映画では主人公1人でも、命からがら危険を乗り越える場面が想像つくことだろう。

 

しかし、本作では戦況を覆す圧倒的な武器はない。

 

『素手』やよくて『木製のバット』といったゾンビに一撃で致命傷を与えられる武器がない。

 

となると、武器での優位性がないことで、大量のゾンビをみてからの絶望感が半端じゃなかったりする。

 

こういった”ゾンビの数が増えればそれだけ生存確率が減る”というゾンビ映画の前提を忠実に表現しているのは作品的に少ないのではないかと思う。

 

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